このネーミングはゲーム猿たかさわさんのオリジナルです。
つまり、ルールに則って索敵を行う空母戦ゲームのことで、フラットトップや日機をはじめ、殆どの「空母戦ゲーム」に位置づけられているものを網羅します。
反面、空母戦ゲームの範囲をたとえばDVGのLhigtining Midwayや、GJの決戦ガダルカナル、あるいはVGのフリートシリーズにまで広げた場合、これらは非索敵級の空母戦ゲームということになります。
索敵級の空母戦ゲームでは、索敵ルールの素敵さを競うような空気があります。
特に日本で発売された空母戦ゲームにおいては、その傾向が顕著であったように思います。
日機のダミー+チット引きシステムでは、手軽さと空母戦の索敵における情報の不確実性の両立がデザインのコアだと思います。
好みの問題はあるにせよ、ねらった成果をちゃんと上げている点では成功していると思います。
全部本物艦隊戦術と、テクニカルなダミー移動を封じることが条件ですけど。
フラットトップでは実際に航空機ユニットを盤上で動かしつつ索敵を行います。
索敵を実施すると宣言したとたん、なにか強力な電波を発してしまうからか、相手からも見えてしまうという逆探知問題があるにせよ、索敵計画を綿密に計画する楽しさのようなものが味わえます。
それを楽しいと思える才覚が必要ですけど。
ツクダの航空母艦や、タスクフォースシリーズでは、完成度はともかく、この逆探知問題の克服に執念をもやしています。
こういった努力はパソコンが普及するまでは、ゲームデザインのあり方として全うであったと思いますが、今となっては前世紀の遺物と言わざるを得ません。
今この索敵級ゲームをデザインするのであれば、発想の大転換をはからなければならないでしょう。
つまり、索敵ルールの素敵さをいくら競ったところで、そもそもパソコンゲームが普及した現代においては、「なんでそんな面倒くさいことをするのか。」と一笑にふされてしまうのがオチだからです。
本来、索敵級空母戦ゲームにおいては、索敵のルールそのものより、「見えない相手に艦隊指揮官としてどう対処するのか。」といった面にスポットがあたるべきなのです。
ですから、相手の居場所がはっきりわからなければ、索敵ルールそのものは、きわめて単純な最低限のものでもかまわないのだと思うのです。
そこにルールの大半を費やして、プレイ不可能なゲームをデザインしたところで、現代では全く通用しないのではないかと。