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SLG評を読んでいると、たまに「ゲームになっている」とか「展開がゲーム的」という表現を見かけることがあります。私も使った覚えあります。 でも何か変ですよね。そもそもSLGってゲームなんですから、「になっている。」とか「的」って何なんでしょう一体。つまりこの言葉の意味の裏にあるのは、ゲームでないSLGがあるってことですよね。 更にこの「ゲーム的」という言葉をほめ言葉として使う方と、けなし言葉に使う方がいたりします。SLGはゲームであることを迎合する方と忌み嫌う方が居ることになる。 ゲームの名を冠するものについて、本当にゲームであることを喜ぶ人っていうのも、何か変だし、ゲームでない方がいいと思っている人が居るのはもっと変。 でもおもしろいのでちょっとこれについて考えてみましょう。 まずそもそも論。 良きにつけ悪きにつけ、「ゲーム的」という言葉がわざわざ使われることについて。 これには「SLGってゲームって名前が一応ついているけど、本当は巷にあふれるゲームとは一線を画していて、もっと高尚で格調高い代物なんだぞ。そこのもの頭が高い。このヘックス模様が目に入らぬか。」みたいな心理が働いていることは間違いないって思います。 いい大人がゲームなんかにうつつを抜かしおってなどと、親兄弟嫁知人隣人から常日頃迫害されているトラウマのなせる技なのかもしれません。 我が国においてはゲームという言葉自体が、「遊び」を連想させるものです。「遊び」は「勤勉」の対局にあるものです。 日本人である私たちは「勤勉=美徳」の公式を刷り込まれているものですから、その反対で「ゲーム=悪」という図式が成り立ってしまうのですわけですね。 また、普通SLGは戦争を題材にするものであり、「戦争=決して良いことではない」ということも、この辺の事情を複雑にしています。 あのブームの頃、「戦争を遊びにしている現代の若者」というレッテルを某新聞社から貼られた私たちには、これに対する不満が心のどこかに澱のように貯まって、くすぶっていたりして。 そんなわけですから、いい大人が没頭する趣味と言い訳するためには、SLGを一般的なゲームからは切り離した位置に置く必要があるわけです。 その位置をニュートラルな起点として、個々のSLGを評価すると、ゲーム寄りに戻ったものとか、更にあっちの方向にシフトしちゃったものとかいう言い方ができるようになる。 ゲーム的、ゲーム寄りという言葉を使う裏には、こういう心理構造があるのではないかと思うのです。 次に、ゲーム的な展開ってどんなのでしょう。 ひとことで言えば、「停滞しない派手な展開」というところでしょうか。 それと、「史実とかけ離れた展開」という意味のときもあるような。 この2つのニュアンスのブレンド比率が、「ゲーム的」という言葉を使用する人によって、微妙に違うような気がします。そしてこれらを是とするか、否とするかが、ゲーム的という言葉を好意的に使うかどうかが分かれてくるのではないかと。 私はSLGはゲームである以上、エンターテイメントであるべきだと思っています。 あえて誤解を恐れず物を申さば、戦争というシチュエーションを遊びとして切り取っているわけですので、「展開の派手さ」は重要な要素だと思います。 パソコンのような自動思考機械の手を借りないSLGは、このゲーム的な派手さがプレイをする際のモチベーションに通じるのではないかと。 保つべきモチベーションとは、ルールを読み込み正しく運用して自分の手で駒を動かすという労苦に耐えるためのものです。 個人差もあると思いますが、ブームの時あんなに多くいたゲーマーの殆どがPCゲームやコンシュマーゲームで満足したのでSLGを切り捨てた背景には、そもそもこのモチベーションを保つことが難しかったからなのだと思います。一般的には受動的性格の大きい趣味ほど受け入れられたり普及しやすいのではと。 最近お気に入りのコンバットコマンダーは、カードプレイというギミックを持ち出すことで、ゲーム運用の労苦を感じさせない工夫をしているところが評価できるのです。 展開は極めて史実的(だと思う)でありながら、ゲームとしての見た目が「派手」なものになっている。ここが受けているんじゃないかなあ。 ゲーム的であることは、シミュレーションとしての正確性(精密性)と、同じウエイトで大事なことではないかと思うのです。 ただ、派手さを追求するがあまり、史実に照らし合わせた際に「それは無理だろ」的展開になるようなゲームは、ゲームであってもシミュレーションではないなあってことになります。たしかタクティクス誌であるゲームのレビュー記事に、「アメリカ西海岸にUボートが群れをなすってどうよ。」といったような趣旨の記事があったと思う。わたしもこれは悪い意味でのゲーム的展開だと思うのです。 でもアメリカ西海岸をUボートが埋め尽くす現象は、システムの不備によって起こっているというのが前提です。 もしかしたら、ドイツ軍だってがんばればアメリカ西海岸をUボートで埋められたんだという史観にたってデザインされたのかもしれません。 もしそうであれば、もうそれはそのゲームを買ってプレイする立場の私たちが、デザイナーさんの言いたいことを受け入れられるかどうかという問題になる。 それと、ゲーム的なSLGを受け入れられるか否かというのは、ちょっと論点がずれるように思うのですが、これらがないまぜになってしまって、ゲーム的SLGは良くない的論法に結びついちゃうのは、なにか違うなあと思うのでした。
by takoba39714
| 2008-06-20 23:27
| ゲームってなにさ
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Comments(20)
家庭用ゲームソフトの空戦ゲームには、同じF-15でも
一方は、数発のミサイルを積んで敵の後ろにじわりじわりと食らい付き、ここぞという時に発射ボタンを押す。 もう一方は、クルクル飛び回り、数十発の空地両用ミサイルを乱射、というのがあります。 後者は、シミュ派から見れば我慢ならないクソゲー、ということになりますが、見た目は派手ですし、画像も大変美しく、思わずその世界にハマってしまいます。 要は、デザイナーの意図したとおりにゲームが機能し、お客さまが楽しんでくれればいいわけで。日独が勝つ、という意図でデザインされたのなら、それも有りでしょう。 余談ですが、バイク乗りは、乗る人と乗らない人を「こっち側」、「あっち側」と表現します。何をするにも、誇りを持ってしましょう、ということで。
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困ったことに私はコンシュマーゲームするなら、後者のエース○バットの方が好きだったりすることです(笑)。
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お久しぶりにコメントいたします、ワニミです。
言葉や単語の内容には多重性や範囲がある事は普通ですので、表現する時には言外の条件と合わせて意味になる所がミソですヨネ。 この辺が言語表現の楽しい所であって難しい所。 えーっと、楽しければソレで良いんじゃないでしょうか。 ![]()
鋭いところをついていますね。
僕もあまり意識していなかったように思います。シミュ派というわけではありませんが、傾向的にはゲーム的過ぎるゲームには辛いような気もします。もちろんそう言うゲーム的なゲームにはそれ相応の対応をして挑むわけですから、最近はそれほど気にならなくなりました。
ぐちーずさん。ゲーム的(と思われる)ゲームに辛口になるという傾向は、私にもあります。
ただ、私も最近は気にならなくなったというよりは、許容できるようになったところがあります。 それはSLGに科学的であることを期待できても、科学は期待できないと思うに至ったからかもしれません。 ![]()
私はあんまりシミュレーション性とゲーム性を区別して考えた事無かったです。両者がトレードオフの関係にあると感じてしまったら、その時点で失敗作かも・・・なんて言ったら暴言でしょうかね?
ヒストリカルな物であれば、歴史の再現性をどのレベルまでにするかで各人好みが別れるのでしょうけど、「らしさ」なんて言う主観的な物も結構その辺に含まれてる様な気もするし、一筋縄では行かないですね・・・ 結局は記述された「歴史」も大きな意味では加工された「物語」の一種なんて割り切ればなんでもOKな気がします。 「ゲーム的」と言われたり「ゲームになってない」と言われたりで、ほんとウォーゲームの中の人は大変だなぁと思いました。 そうそう、エースコンバッ○は私も好きなので安心しましたです(笑)
>両者がトレードオフの関係にあると感じてしまったら、その時点で失敗作かも・・・
こ、これはシビアです。帝海は大丈夫だろうか(笑)。 でも、両者がトレードオフだと感じさせないSLGは間違いなく成功作だと思います。 それを目標にするべきなんでしょうねきっと。
「ゲーム的」という用語について、私は「歴史的にかけ離れた」という意味で使う事が多いです。
私はSLGをプレイすることにより「何らかの歴史的な知見を得る」ことを求めているので、あまりに「ゲーム的」過ぎるSLGは敬遠したいですね。 一方でtakobaさんの仰るように「展開の派手さ」がモチベーションを維持する上で重要ということも理解できます。要するに「歴史的な正確性を犠牲にすることなく面白いSLGが良い」ということでしょうね。 ![]()
すみません・・・やはり暴言でした(汗)
今日たまたま、普段あまり読まない(失礼!)コマンドマガジンの連載記事「PCシミュレーションゲーマーズ」を読んでいたらちょうど同じ様な事が書いてありまして。 大ブームになっているらしいPCゲームのデザイナー氏曰く、 「ゲームでは、Story-story(ライターが創作した物語)とGameplay story(ゲームを進めていくうちにプレイヤーが体験していくこと)の間には必ず大きな溝があるのです」との発言。 で、この溝を狭くするほどゲームは面白くなり、更に過去には良いStory-storyに押し潰されて失敗した作品はいくつもある、との事。 記事の執筆者は、これをHistoryとGameplay storyに置き換えれば、そのまま我がウォーゲーム事情にも通ずるとして話を進めていきます。これ以上内容書くとアレなので・・・中々面白いので機会がありましたらご一読を。私は知りませんでしたが、ゲーム性/シミュレーション性の問題を、「高梨パラドックス」と言うんですね。 歴史の事実が、どれだけの確率で起こりえた(あるいは起こりえなかった)事ととらえるかでひとつの事例ですら大きく立場が変わるのかなと思いました。
いえいえ。シビアではありますが、暴言などではないと思います。
私はCMJを全て所有しているわけではないので、くだんの記事がどの号に載っていたのか、ご教示いただけると嬉しいです。 「高梨パラドックス」は私も知りませんでした。 「タイガー1論争」とか、「演繹的vs帰納的」とか、業界用語って色々ありますね。そのうちSLG業界検定とか出来たりして。100点満点中、20点くらいは採りたいものです(笑)。
あ、肝心の号数を書いてなかったんですね・・・
最新の81号でした。ちなみにPC〜の記事は初めて読みましたが、これからはちゃんと読もうと思った次第です。 SLG検定、面白そうですね(笑) 私が知ってるのはせいぜいエポックスターリングラードのスタック論争ぐらいかな?0点は避けたいなぁ・・・ ![]()
「高梨パラドックス」とは、「シミュレーションゲーム批判序説」(初期の新シミュレイターに掲載)に出てきたモノで、「史実を知ってるプレイヤーは、史実通りに行動したがらない」ってな感じ(流石にうろ覚え)という法則です。例として、「鉄砲の威力を知っている武田方プレイヤーは、長篠の戦いで織田方に突っ込むのは躊躇するはずだ」というものが挙げられていました。
スタック論争懐かしいですよね。1ヘクスは○○m2だから、セットのユニット全てをスタックさせても1人あたり××m2なので、問題なしとかいう人を食った回答が更に火に油を注いだんでしたっけ。
そうですか、81号ですか。 81号、やっぱり80号とセットで買おうかな・・・。
ミッドウエイでは米空母が待ち伏せしていることが判っているし、小早川は必ず裏切るし、ガ島に小分けで陸軍を送ると痛い目に必ずあうし・・・
SLGって難しいですよね。 ![]()
お話が楽しく膨らんでいるご様子ですね。
業界用語が多くて、しかもその内容が不明瞭で不明確。 話題がループになる要因は、この辺りにもあると思うのですが、このループ自体が楽しいコンテンツになればとても「有益」ですよね。 うまく誘導されている「様」を楽しく感じるワニミでした。
>このループ自体が楽しいコンテンツになれば・・・
一歩間違うと炎上なので、それを楽しむ心の余裕があるうちはいいのですが・・・ ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
あ、いえ。一般論ですよ。
こちらこそタイミングが悪かったです。
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